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新大陸進出が生んだ虐殺という自動化のシステム

コロンブスが1492年に新大陸を発見してから、スペイン🇪🇸の植民地は拡大していった。

スペイン以外のヨーロッパ諸国も、競うように、入植を拡大していった。目的は、『』や『資源』である。『人』や『資源』が国力なのは、今もそれ程変わりはないでしょう。

入植の為に、先住民を奴隷にしたり、それよりも多くを『虐殺』した。


その虐殺よりも、多くの人の命を『自動的に奪う仕組みが、同時に生まれたと言う。


それは、一体何なのか。

それは『伝染するもの』なのです。

世界の超大国として絶頂を極めたスペイン

そもそも、コロンブスが航海に出発したのは、単なる冒険・探検では勿論ない


コロンブスが、征服者(Conquistador:コンキスタドール)や、奴隷商人と呼ばれる前は、ポルトガル🇵🇹にて航海士地図製作者としてビジネスを行っていた。


若くして航海をしていたコロンブスは、ポルトガルにいた時期、アイスランド🇮🇸ギニア🇬🇳、そしてゴールド・コーストまで到達していたようです。


ゴールド・コースト(the Gold Coast) 、または黄金海岸は、1471年には既にポルトガルにより発見されていた。

1482年には、現在のガーナ🇬🇭沿岸にエルミナ城(Elmina Castle)が建設され、奴隷・金などの交易の拠点とされた。この地には、他のヨーロッパ諸国も砦を築き、それ以降、大西洋奴隷貿易の拠点と成っていったのである。

Elmina Castle

コロンブスは、様々な縁により、西廻り航海が可能だと判断した。つまり、西に進めば、東端に辿り着くということである。東端とは、そう、インドの事である。


コロンブスの想定は、今考えれば、かなり現実離れしたものであった。当時も疑問視する声があった。しかし、新たな航海の達成には自信があり、さらにその見返りも、高い地位や報酬・権益など、大きいものだった。


彼は、ポルトガルを離れ、スペイン🇪🇸に渡った。スペインでもなかなか支援は得られなかった。想定と費用対効果を疑問視されたことが大きい。スペインには財政的な国内事情もあった。

ところが、イベリア半島最南部にあったイスラム王朝を、キリスト教勢力として征服した事で、事態が変わったのである。スペインは財政的な負担が減ったのだ。そしてコロンブスは、スペイン王室と正式に契約を交わしたのである。『サンタ・フェ契約』である。サンタ・フェ(Santa Fe)という地で、交わされた契約の為、そう呼ばれる。


もし、コロンブスの新大陸発見がもたらす富を予見できていたなら、ポルトガルもスペインも借金をしてでも、国をあげて支援したであろう。

コロンブスが見つけた新航路の先には、思った以上の広大な地域があった。


その後50年の間に、中央アメリカ南アメリカに渡る、広大な領域を征服した。『征服』とは、先述のゴールド・コーストと同じである。先住民を奴隷として売買するだけでなく、何十万人と殺戮した。そして、金銀財宝を奪い取った。そしてスペインは、世界の超大国として、絶頂を極めたのである。


このような『征服』は、中央アメリカにおいては『アステカ』、南アメリカでは、『インカ』という固有文明を結果的に短期間で崩壊させた。南アメリカの西部にあるインカ帝国まで、侵略が進んだのである。『失われた黄金都市』ではなく、黄金は略奪され、帝国の都市は滅ぼされたのである。


その後、300年にわたって、南アメリカの大部分はスペインの植民地となり、支配されていた。その状況を変えたのが、ナポレオンである。ヨーロッパの勢力地図を塗り変え、スペインの支配力を弱めた。その結果、『アステカ』があったメキシコは1821年に、『インカ』のペルー🇵🇪は1824年に、完全なる独立を果たした。


この二つの国の独立の約半世紀前の1776年7月4日、アメリカ大陸では、英国の植民地13州が、英国からの独立を宣言した。その後、アメリカが台頭していき、今度はアメリカによる『征服』が始まった。スペインは、アメリカ大陸で植民地としていたフロリダを、アメリカに売り渡す事になった。そして更にアメリカとの戦争の末に、、1898年、グアム、フィリピン、プエルトリコ、キューバをアメリカに奪われ、最後の植民地も失った。


コロンブスの新大陸発見から始まる、世界的な強国としてのスペイン帝国の地位は、19世紀後半までの数世紀の間に低下した。


しかし、絶頂期の支配領域の広大さに、驚きを隠せない。

太陽の沈まない国』とは、よく当てはまっている言葉だと感じた。

人道的と征服の2つの見解は、莫大な富の前にはむなしいものだった

1550年、既に『アステカ』と『インカ』がスペイン人征服者により滅ぼされていた時期である。スペイン王のフェルナンドの孫である、スペイン国王カルロス1世は、著名な学者を呼び寄せ、幅広い議論をさせた。自国スペインの対外政策についてである。アメリカ大陸で続けられる殺戮や虐待に懸念を抱き、これ程までに人命を犠牲にして領土を拡大することが、正しいのか否か悩んでいた

征服者(Conquistador)と呼ばれる人たちによって行われる『征服』は、スペイン王室の認可が一応は必要であったからだ。


呼び寄せられた学者は二人で、『ラス・カサス』と、『セプールベダ』である。


ラス・カサス
 小さい時に、コロンブスを出迎える凱旋パレードに参加した。その後、アメリカへのスペイン人入植者の第一陣となる。新大陸に渡って彼が目にしたものは、スペイン人征服者による残忍な行為であった。衝撃を受けたラス・カサスは、スペイン王に対して、もっと人道的な政策をとるよう進言した。


セプールベダ
 スペイン人には、大きな義務があると主張した。アメリカ先住民を、キリスト教徒にするというもので、どんな手段を用いても構わないという信念があった。さらに、アステカ人は人を生贄にする野蛮な民族であるとし、積極的に服従させ征服し、西洋文明を広めなければならないと考えていた。


カルロス1世は、ラス・カサスに賛同した。しかしこの時既に、強大なアステカ帝国インカ帝国は、スペイン人の『征服者』により滅ぼされていた。黄金は奪われ、先住民は虐殺されていた。 決して、『失われた黄金都市』ではない。


滅亡前に、賛同したからといって、どうなったか。莫大な富を前にした『征服者』を管理できであろうか。スペイン人の征服者がやらなくとも、他の国の『征服者』が行っていただろう時代だ。セプールベダの主張は、肯定はしたくは無いが、当時の時代背景を考えると、メジャーなものだったのかも知れない。


カルロス1世の悩みは、人道的か征服か、の問題ではなかった様に思う。なんともし難い、大きな時代の流れに、無力感さえ感じたのかもしれない。

本当の虐殺は、征服者がもたらした伝染病だった。

諸説あるが、スペインから始まる征服者の入植という名の虐殺行為より、彼らが持ち込んだ『病気』により死んだ先住民の人数の方が、何百万人という単位に上り、圧倒的に多いという話が支配的だ。

病気とは所謂、『伝染病』のことで、特に、社会的に与える影響が大きいものを『疫病』という。

歴史上、最も古く記録に残っている伝染病として、『天然痘』がある。紀元前1000年以上前にさかのぼる。地域は、ヨーロッパや、エジプト、そして中国など、現在で言うアジアまで広範囲だ。


大航海時代、スペインの征服者がもたらした天然痘』などの伝染病は、現地の先住民に感染するだけでなく、売買される『奴隷』によっても感染が各地に広まった。もちろん伝染病は、『天然痘』だけではないでしょう。ここで留意したいのは、『副産物』の影響の方が大きいという見方である。


伴って生れるもの、付随して起こる物事の方が、良くも悪くも影響が大きいという意味では、現代に於いても様々な分野で考慮すべき所が多い。


大航海時代の伝染病の伝播は、コロンブスから始まるスペイン人征服者が『スイッチ』となり、当時の植民地拡大という覇権争いのシステムにおいて、『自動化』されたと言える。疫病のグローバル化が進んだといっても良いかも知れない。


現代においても、『自動化』という言葉には考えさせられる事が多い。自動化は、生活を豊かにもしてきた。産業に於いては、効率化も良く図られた。一方で失われたものもある。そして将来、必要でなくなるものもある。今は過渡期なのかも知れない。そう感じます。


様々な分野において、世界の潮流に変化をもたらす『スイッチはあるでしょう。現在、様々なイノベーションにより、『自動化』が図られており、今後更に飛躍することは誰しも予見する所です。トレード、乗り物の運転、兵器、精算。これらは身近に感じるものです。数えれば切が無いですが、これらの自動化を可能としたスイッチは、イノベーションと言えます。

コロンブスの時代、入植地の先住民を圧倒したのは、銃や大砲、また軍隊などの軍力のイノベーションが進んでいた為なのです。その点は、あまり現在も変わりはありません。


国家間の対立、紛争、経済格差、環境問題、これらを良くするも、悪くするも、スイッチがあるはずである。そのスイッチを入れてしまうと、自動的に、働いてしまう。『自動的』とは、あの伝染病の様な『連鎖である。連鎖的に働くのです。悪いスイッチを入れてしまうか、その手前で留める事ができるのか。


そんなスイッチは、一体何処にあるのか。解りきった事であるが、それは、私たち人類の『』の中にあるのです。

– à la carte –

– 今日の音 –

ちょっと、公開されてからおそくなりましたが、Amelie Lens です!

Street Parade というFESです。


スイス🇨🇭のチューリッヒ(Zürich)で開催されます。8月の第2週の土曜日に、早朝から深夜まで。2019年は8月10日(土)に開催されました。


以下の映像は、ARTE Concert というストリーミングメディアからの配信です。

Amelie Lens @ Street Parade (Full Set Hi-Res) – ARTE Concert

このフェスで Amelie Lens は、メインステージである、OperaStage での大トリです。ラスボスってことですね!

Dancing Amelie です! 

Zürich Opera House

OperaStage は、チューリッヒ(Zürich)にある最大の町の広場Sechseläutenplatz (ゼクセロイテン広場)にセットされます。ゼクセロイテン(Sechseläuten)という、チューリッヒ市の伝統的な春休みの祝い行事が行われる場所であることに由来する広場です。広場の目の前には、上の写真のOpera House があります。Amelie たちDJは、このオペラハウスを正面にしてプレイするのですね。『Dancing Amelie』には、ちょうど良いか、狭いくらいかな!?


それにしても、彼女、または彼女達の活躍に、こっちが付いていけてない(笑

– あとがき –

久しぶりの更新です。ほんとうに様々な事が重なった。いや、まだ重なっている。

少しずつ書いていたので、時系列的におかしな所があるかもしれない。今特に思う事は、SNSというのも、私には少々重荷のよう。でもちょっぴり楽しい。距離感はとても大切だと思った。


世の中のトレンドを追うのは、私にとっては、とても大変なことだと、あらためて思った。『好き』を追求する、そして追求したい。一方、あまり専門性がない。深さが足りないと、自分で思う。余力がないの一言だ。

まぁ、あまりネガティブに考える必要はない。全てはこれからだし。


ブログの構成を、カテゴリを明確にして行きたい。そう思った時期があった。トレンドを狙うカテゴリを別につくるとか、全く別のブログサイトを作成するかだ。まだ時期尚早かな。性に合うとも正直思わないが、割り切ることも必要だ。いずれせよ、このブログでトレンドを追うことはない。自分のペースでコツコツとやろう。アクセスの集まらないブログだけれど、何かの練習にはなっていると思う。何より気が紛れる。それがそもそもの目的だと原点に返ろう。無理にトレンドを狙おうなんて思わされる必要もない。自分に正直が一番よい。


今回は、自分的には画期的な変化があった。文章を書くときに、改行する文字数を全く気にしなかったことだ。随分と、気が楽になった。実際に公開して、後悔するか否か、それはある意味楽しみである。コロンブスのように、航海はしてみたい。もちろん彼とは違う目的でね。


航海という点では、私が好きなDJ達は、世界の各地を転々として渡り歩いている。世界は広くていい。とても広くて、美しいものです。自分も一緒に連れて行って貰っている様で、とても有り難い。私は、決して行くことはないのだから、なおさら有り難い。

私が再びEDMの世界に興味を持ち出したのは、女性DJ達の活躍だった。そして何より斬新だったし、時代は変わるものだと思った。もちろん古くからの未だ第一線で活躍しているフィーメールDJも居て嬉しい。陰ながら応援したい。私は、EDM自体も好きである。しかし何が一体好きなのか、さらに自身に問うと、好きなのは結局、『私、こんなにも楽しくて、幸せなの!』と言わんばかりのMIXする彼女達の姿だった。私にとっては、癒しでもある。感謝以外の何ものでもない。


それにしても、Santa Fe(サンタ・フェ)って聞いたら、まず思い描くのがアレでしょう。違いますか? そして、すっごく似ている。一体、誰に? 然したる話では無いですけどね。


最近は、随分とドライになってきた。『スルー』すると言う技術もかなり高度になってきた。いい感じだと思う。その方が、小さいけれども、ちょっとした幸せを感じられて気持ちが良い。小さな幸せは、割と転がっている。ポイントは、『新たを得るには、何かを捨てる』である。『捨てる』というと、受け止める人による言葉となってしまうので危険性が伴うが、どんどん忘れ去ることである。まぁ、『ドライ』って事です。今から始めるという事です。それしか結局ないのです。それを可能とするのも、私にとっては周囲との距離感です。


歩けと、人は言う。歩いた方が健康的だとアドバイスも頂く。気を使って頂いて、とても感謝の気持ちを持っています。歩けない自分がいて、申し訳なくも思います。しかし、どうしても歩けない。歩けないのには、確固たる理由がある。明言は避けますが、一度いやそれ以上に、ある『経験』をした私には、もう歩く事は苦痛でしかなく、外出も同様なのです。この世の『空間』を瞬く間に過ぎ去りたい。だからどうしても自転車に乗るのです。自転車がなかったらどうなったか。なお一層外出が難しくなるでしょう。

私の自転車に、わざと画鋲を刺しパンクさせた人間を知っている。事実は忘れ去られても、歴史として生命に刻まれる。 肝に銘じることだ。 何より、私からの信頼を失わないで貰いたい。取り戻す事は、ほぼ不可能に近いから。


この記事は殆どが、台風の前に書き出したものです。 被災した人、亡くなられた方もいます。 ご冥福と早期復旧を願うばかりです。 一方で、特に首都圏において、国土強靭化、防災・減災の対策が進められていた事は評価したいです。 自衛隊の方々も頼もしく思います。 とにかく、今回の台風を確かな教訓として活かしていくことが大切だと思います。 今回の台風19号は、勢力こそ大きかったですが、比較的に停滞期間が短かったと言えると思います。 停滞期間が長かった場合を想定することも必要かも知れません。 


加筆・修正は、その時期、内容を示す
ことなく、行っております。
ご了承下さい。

また、何度も言いますが、
単なる『脳トレ』です。
読む』、『まとめる』、『書く
まぁ『感想』も入ります。

全て、受け取る側の問題です。

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